2012年1月17日火曜日

發句と映像と音樂 A hokku poetry and a picture and music


 發句と映像と音樂
A hokku poetry and a picture and music




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毘跋留的
(ヴイヴアルデイ・Vivaldi1678-1741)

和聲と創意への試み
Il cimento dell'armonia e dell'inventione

Summer mvt 2 Adagio Op. No.-
協奏曲第2番 ト短調 RV.315「夏」






六月十六日

紫陽花が雨降らしたる夕べかな 不忍
 

 あじさゐが  あめふらしたる ゆふべかな
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 「富士には月見草がよく似合ふ」と太宰治は言つた。
 それならば筆者は「紫陽花は雨がよく似合ふ」と言つて見よう。
 さうしてそれは降つてゐる雨が紫陽花の所爲(せゐ)ではないかと思はれるほど上品(シツク)に調和(マツチ)してゐると感ぜられる。




§

2012年5月1日撮影
叔曼(シユウマン・Schuman1810-1856)

美しき五月に(Im wunderschonen Monat Mai)
詩人の戀(DICHTERLOEBE) op.48





   行く春の朝に囀る命かな 不忍


 ゆくはるの   あさにさへずる いのちかな
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 叔曼(シユウマン)の歌曲は叔伯特(シユウベルト・1797-1828)の歌曲よりも靈感(インスピレエシヨン)に滿ちてゐると思ふのだが、特にこの『詩人の戀』はそれぞれが短い曲だが溜息のやうな美しさに溢れてゐる。


§

2012年4月19日
造幣局の花見

BACH
Japanese instrum(和樂器)による
FUGA
BWV 1000





名を問へば小手毬と言へど櫻かな 不忍 


 なをとへば  こで まりと いへど さくらかな
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪ ♪♪♪ ♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃

 造幣局の通り拔けに行つて來た。その年の櫻を一つだけ選んで今年は『小手毬』だといふ。
 始め「選ばれし名は小手毬といふ櫻」と詠めど、どの花も見事でこれと選ぶのもどうかと思ふと言へば、それつてスマップの「世界で一番好きな花」だと娘に窘(たしな)められた。


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2012年3月22日

綾部山梅林

Mozart
flute Quartet  in D major
1. Allegro
K. 285.




見渡せば綾部の梅や瀬戸の海 不忍 


 みわたせば  あやべのうめや せとのうみ
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 久し振りに店が休みで、本當は月ヶ瀬に梅を見に行く豫定だつたのだが、まだ蕾との情報で諦めた。
 そこでお彼岸でもあつたので妻の實家へ歸る事にしたのだが、それならと播州綾部山梅林へ行つた。
 二万本の梅が全山を覆ひ、眼下に瀬戸の海を臨む景色や良し。


飽きもせず日永眺めん梅の丘 不忍 


 あきもせず   ひながながめん うめのをか
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 綾部山梅林は山とはいふものの丘陵といつても差支へなく、古墳群が點在してゐる。
 梅を見つつ瀬戸内海を眺望できる場所が三箇所はあり、島津久子女史の歌碑もあつた。
 今囘は地圖にない一番上は次囘に譲つたが、今も目に殘る見事な滿開の眺めであつた。

 他の音樂を先にしたので、遲ればせながらの發表で、しかも二樂章の後になつてしまつた。
 なかなか順番通りには行かないものである。






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池田五月丘の櫻

Mozart
Flute Quartet in D major,
K. 285.
2.Adagio




   わが世とていのち輝く花の雲 不忍 


 わがよとて   いのちかがやく はなのくも
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 十二日の木曜日に池田の五月山公園に行つた。
 一面に櫻が滿開で、まるで山に雲がかかつてゐるやうに繚亂(れうらん)として春も酣(たけなは)といふ樣で、平日にも拘はらず駐車場が滿杯だつた。
 長女と妻とお婆ちやんと、そして私の四人を長男がプリウスでお出迎へ!


   塵の世や花の樞に守られて 不忍 


 ちりのよや   はなのとぼそに まもられて
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 樞(とぼそ)とは辭書によれば「戸臍(とぼそ)」の意で、開き戸を廻轉(くわいてん)させるやうに作つた穴とあるが、別に戸もしくは扉の意味もあつて此處では戸の事である。
 俗事に塗(まみ)れた日常をこの時ばかりは花が俗世との境界線を作つて防波堤となつてくれてゐるやうだ。



座で愛でる宴や食べるは花の風 不忍 


 ざでめでる   えんやたべるは はなのかぜ
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 當初(たうしょ)『花を愛でる宴や風を食べてみる』であつたが斯()く改めた。
 松を吹き拔けてくる風を「松風」といひ、其處に吹く風の音を「松籟」といふ。
 少しづつ散らしながらさやさやと櫻の花を撫でるやうに吹き拔けてくる風を何と言へば良いのだらうか。



§

服部緑地の櫻
VIVALDI La Primavera
nd MOV. Allegro
Op.8 RV 269




そこにあれば花の都とはなりにけり 不忍 


 そこに あれば   はなのみやこと なりにけり
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 またしても服部緑地へ出掛けてしまつた。
「春眠曉を覺えず」といふが睡眠を惜しんでまで花見に現を拔かしてゐる。

 この句、花が咲いてゐるならば其處が都だといつても良いのではないかといふ理窟つぽいものになつてしまつた。



   陽を享けて花の鏡や幻想郷 不忍 

 ひをうけて   はなのかがみや げんさうきやう
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪ † ζ┃


 陽の光を享受して池の邊に櫻が咲き誇つてゐる。
 さうして水面にもそのまま櫻が映つてゐて、まるでその下に別世界の幻想的な理想郷が存在するやうに思はれる。
櫻なればこそか。
 この句の映像はとても美しく撮れてゐるが、現實の池は枯れたやうな茶色の蓮の莖が一面に覆つてゐるので、上から見てゐると薄汚れて見映えがしなかつた。
 池の面ぎりぎりに撮影機(カメラ)を据ゑて撮影する事で、このやうに綺麗な映像となつた。
 將(まさ)に水晶體(レンズ)を通した魔術(マジツク)である。

誰でもが死ぬと知ればこそ花の宴 不忍


 たれでもが   しぬと しれば こそ はなのえん
♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 花見の季節となつた。
 病氣を患つた身としては今年も無事に見られたといふよりは、あと何年といふ覺悟といつては大袈裟だが、さういふ心持ちで日々を送つてゐる。
 本來はさういふ事がなくても一日一日を『一期一會』といふ心構えで過せれば良いのだが……。






§




奈良東大寺

SCHUBERT
叔伯特(シユウベルト・1797-1828)

 TRIO
2nd MOV. 
Es-Dur
 D929



この作品をツアアを企劃された奈良によしさんと、參加された方々に捧げます。



 典雅なバロツクの香りがただよふやうな冒頭の主題は、京都とまた違つた趣(おもむき)のある古代の雅な奈良の都にはよく似合ふ曲調だと私には思はれるのだが、この曲は叔伯特(シユウベルト・1797-1828)といふ浪漫派の作曲家によるもので、貝多芬(ベエトオヴエン/Beethoven1770-1827)の交響曲第七番の二樂章の對旋律に似た雰圍氣も感ぜられる。
 原曲はピアノとヴアイオリンとチエロによる三重奏曲だが、澄んだ響きが欲しかつたのでピアノの代りにチエンバロを使ふことにした。


   うららかな時の旅人奈良を行く 不忍


 うららかな   ときのたびびと ならをゆく
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃



人を庇ふ南大門や梅の雨 不忍
 

 ひとを かばふ  なんだいもんや うめのあめ
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 奈良によしさんの企劃する『東大寺復興スピリッツ継承ツアー』へ參加した。
 アツトホオムな人數でマンツウマンのやうな案内(ガイド)で叮嚀な解説でした。
 大佛殿へ行く時は天氣が良かつたのに「南大門(なんだいもん)」に戻つた頃には鹿も見當らない程の雨で散會した。


この作品をツアアを企劃された奈良によしさんと、參加された方々に捧げます。




§

Original
(自作)

君は風
(You are the wind)




   外つ國の親娘迎へん春の雪 不忍

 とつくにの   おやこむかへん はるのゆき
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 三月十二日、伊太利のニコル女史と母の二人を新大阪驛に迎へに行く。
 シンデイ・ロオパアの東京と大阪の公演に來日したるなり。
 十二時前に初めて對面す。
 山口君の知り合ひなれば、外國(とつくに)よりの來客にわが長男の通譯頗る輕やかなり。
 珍しく雪の降る。


§

2012314
奈良二月堂御水取

VIVALDI
La Primavera
nd MOV. Largo
Op.8






病さへ癒すと言はん御水取 不忍 


 やまひさへ  いやすといはん おみづとり
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 東大寺二月堂の修二會(しゆにゑ)の行事のひとつである『御水取』は三月十三日(陰暦二月十三日)の未明になつて、堂の前の閼伽井屋(あかいや)やから水を汲んで本堂に納める儀式と辭書にあるが、これが濟めば關西では暖かくなると言はれてゐる。
 恐らく、暖かくなるといふ事が萬病に利くのだらうと思つてゐると、夜のテレビのニユウスで「お水取」樣子が報道されてゐた。
 「しまつた! 今年も見損ねたか」と思はず臍を噛んだ。
三月十三日だとばかり思つてゐた。
 來年こそはと例年通りの今年である。




傷む胸に炎熾るや御水取 不忍 


 いたむ むねに   ほむらおこるや おみづとり
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 中句は「炎(ほむら)(おこ)る」と讀み、十本の松明が二月堂の舞臺から夜空に燃上つて幻想的で、火の粉が振ひ落された時などは一齊に歡聲がどよめいた。
 が、よく考へれば『籠松明』は見たのだが『御水取(おみずとり)』そのものの儀式は見てゐなかつた。




§

2013/3/8


大阪城梅林




   白梅や匂ひたちたる細き指 不忍


 しらうめや   にほひたちたる ほそきゆび
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 八日、妻と娘の三人で大阪城公園の梅を觀に行つたが天氣も良くて人出も多かつた。
 梅を見がてら晝食(ちうしよく)の辨當(べんたう)を食べ、綺麗な女性に「手タレ」なつて貰ひ、撮影をしてゐた豪州から來てゐる男性とも輕く挨拶を交はして何だか嬉しくなつた。


§




 


   風もなく櫻散らすや石舞臺 不忍


 かぜもなく   さくらちらすや いしぶたい
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃



§



original『MOTION 1(Mirror) &(Substance)』
 柿衞文庫






    殘し柿

 
去年の暮も押し迫つた十二月の初旬に、妻と一緒に「柿衞(かきもり)文庫」へ出かけた。
その時の映像と音樂は、すでにこのコミユニテイで何度も紹介濟みである。
その中で、館内から見える見事な庭園に柿の木があつて、そこに鳥が實()を啄(ついば)んでゐるのを見ながら、

   衞り切るいのちの糧や殘し柿 不忍


 まもりきる  いのちのかてや のこしがき
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃



といふその時に詠んだ句を發表した。
『衞り』は「まもり」と讀み、辭書(じしよ)によれば「衛(ゑい)」の舊字(きうじ)で、「護衛」などに用ゐられてゐるので詳細は不要だと思はれる。
當初(たうしよ)、下五句を「殘り柿」と詠んだのだが、直ぐに氣がついて「殘し柿」と改めた。


近年、都會では鳥や獣が人間の放出する「生ごみ」に群がつて、對策(たいさく)を講じなければならないやうになつてゐる。
それが次第に廣(ひろ)がつて、自然の多い筈の田舎においてさへ、それまで滅多に現れなかつた彼等が人里にまで出現するやうになつた。
気候の變化(へんくわ)で、山の木の實が不作だと云ふ原因はあるかも知れないが、それよりも問題は山や森林を管理する村に定住する人々が高化で人員不足となり、生活環境も都會化されて電化製品を使用するので、雜木林を間伐して焚き木に使ふ薪(まき)を必要としなくなつて、山林が荒れてしまつてゐるのが大きな原因ではないかと思はれる。


妻の實家でさへ、風呂を利用するのに太陽熱によるお湯の利用と、瓦斯(ガス)と薪による方法で沸かしたりしてゐたが、家の改修をするのに風呂もついでにといふ事で新しくしようとしたところ、需要者が少ないからか、太陽熱や瓦斯や電氣を利用する製品はあるが、薪にも對應出來る風呂釜がもう生産されなくなつてゐるといふのである。


()てて加へて、竃(かまど)さへ廢棄しようとしてゐた。
けれども、暮の餅搗()きで簡易な市販の「餅搗き器」を購入したので、それで屋外に出て餅を搗かうとしたのだが、あまりの寒さに昔ながらの竃を使つて三和土(たたき)で餅をつく事になつた。
かくてその有効性が認められ、竃は延命の運びとなつた。
(げうかう)の到りである。


以前、誰かの日記のコメントに、天變地異が起つて電気や瓦斯の供給が寸斷されても妻の田舎の生活生命線(ライフライン)は安泰だと書いた事も怪しいものとなつてしまつた。
このままではライフラインばかりでなく、親から子へと傳(つた)へられる農業の技術情報(ノウハウ)も、途絶えてしまふ可能性があるといふ危機的状況ではないのかと心配される。


ノウハウとは、例へばどの時期に種を植ゑれば良いのかといふだけでなく、それからの補助(フオロオ)ひとつで作物の出來が違つて來るのである。

「大根ができた」

といふ妻の發言に、

「出來たんぢやない、作つたんぢや」

といふ祖母の名言に、事の重大な秘訣が隱されてゐると思ふのは、筆者の穿ち過ぎばかりではないのではあるまいか。


いつの頃からか、商品價値があるからといつて杉の植林が多くなつてゐるが、動物の食料になる雜木林の崩潰によつて、環境そのものが維持出來なくなつてゐる。
その上、人手不足で管理出來なくなつたり相續問題で山林を手放さなければならなくなつて、それを海外の人が入手する事態にまでなるといふ深刻な問題となつてゐる。
江戸時代の幕府は日本の森林を守つたといふが、所有者が海外の企業や個人がそれを保持してくれるといふ保證は何處にもない。
今こそ、開發をする事と管理をする事の意味を考へ直さなければならない時期に來てゐるのではないか。


農地に鹿や猪などの動物が侵入して田畑を荒らす時、案山子や鳴物で侵入する動物を追ひはらつてゐたのが、今では電流を通した線で圍ふやうになつてしまつた。
昔の人はその周りに食料となる捨て地を用意したり、墓の供物(そなへもの)や雜木林を作つて防波堤としたのである。
勿論、彼等がこの陽動作戰にいつでも應(おう)じてくれる譯ではなく、田畑が荒らされるのは相變らずなのだが、墓の供物は、鳥や獣だけでなく行き倒れの人の命さへ救つたかも知れないから、さう考へれば共存する意識は極めて高かつたのではないかと思はれる。


その根據の一端が、この「殘し柿」である。
これは柿に限つた事ではないのだが、果物を収穫する時に全てをとらずに上の部分の果實を鳥の爲に殘しておくのださうである。
祖母流にいへば、

「殘つてゐる」のではない。

「殘してゐる」のである。

從つて、「殘り柿」ではなく「殘し柿」となつたのである。
そこには衞(まも)るのは自分たち人間の命ばかりではなく、他の動物の命も考へて地球の住人として共存して行くといふ願ひが感じ取れるのではなからうか。

   衞り切るいのちの糧や殘し柿 不忍


とここまで書いて、筆者には衒學(げんがく・Pedantry)的なところがあるから、作品を讀まれる方は鼻につくかも知れないと考へる事がある。
戒めなければならない惡癖なのだらうがと反省はするのだが、文章を表現する手法(スタイル)のやうになつてしまつてゐてなかなか直りさうもない。
と結局は開き直つてしまふ。


二〇一一年正月十五日午前四時半



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   降る雪も隱し切れずや鹿苑寺 不忍


 ふるゆきも   かくしきれずや ろくをんじ
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃

 



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   岩藤に風吹き拔けて水の音 不忍


 いはふぢにかぜふきぬけてみずのおと
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 この曲はロドリイゴの『ある貴紳の爲の』に似てゐると思つて聞いた事がある。影響を受けたのだらうと勝手に考へてゐる。
 大聖寺の住職には叮嚀な説明を受け、感謝にたへません。映像ももつとあつたのですが、べつの機會に譲ります。



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Handel『Orugan CONCERTO』Op.4,No.1-2,Allegro 京都嵐山







   岩に上に身じろがぬ鳥京の冬 不忍


 いはの うへに  みじろがぬとり きやうのふゆ
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃ ♪ ♪♪♪†ζ┃

 

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五山の送り火 VIVALDI With bottle. L'Estoro Armnico Op.3 No.6 2nd MOV.





2011年8月16日

送り火を間近に見たり闇の空 不忍


 おくりびを  まぢかにみたり やみのそら
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 今年の始めに二度ほど金閣寺に出かけた時にお世話になつた石田珈琲さんに行き、「送り火」を見る絶好のポイントへ、それも「右大文字・左大文字」の場所へと時系列で案内された。
「送り火」を見るのは生まれて初めての事だつたので、感動と共に嚴粛な氣持を味はふ事が出來た。
以前に「大文字燒」といつたら「送り火」と訂正されてしまつた。
 京都の人の「こだはり」といふよりも「誇り」が感じられた。




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『萩の寺』 VIVALDI With bottle.『L'Estoro Armnico』 Op.3 No.6 3rd MOV.






2011年9月22日

誘はん晝間の空や萩の寺 不忍


 いざなはん  ひるまのそらや はぎのてら
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 曾根に『萩の寺』として有名な東光院がある。
この地に長い事住みながら一度も訪れた事がなかつた。
始めて家族で出かけた。
 晝(ひる)だつたので、月があればと誘(いざな)つたが、萩に失禮だつたか……。


陽の光かぜを教へん萩すすき 不忍

 ひのひかり   かぜををしへん はぎすすき
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 東光院には萩ばかりでなく、數は少ないが芒もあつて、如何にも月を期待してしまふが、開門時間は午前九時から午後五時までである。
「九仞の功を」()くこと夥しいが、贅澤といふものか。

 このイ短調の三樂章は四分の二拍子で、百四十五小節ある。
 この曲は音樂的に極めて奇妙な特徴を持つてゐる。
といふのは、一小節が四つ集まつて一楽節となり、それが四樂節で二部形式の音樂となるのが通常の場合であるのに、この曲では四分の二拍子であるとは言へ、一樂節が七小節となつてゐるのである。
 こんな事は、クラシツクで知つてゐる所では、巴哈(バツハ・1685-1750)の『アリア』、通常はG線上のアリアと呼ばれてゐる有名な曲がある位で、最初の一樂節が六小節から始まつてゐ、それ以降は四小節が三樂節があつてそれを足すと四樂節となるから、樂節的には問題はないのだが、最初の一樂節が六小節といふのが不釣合ひで可笑しな事になつてゐる。
 これと似てゐるのがビイトルズの『ミシエエル』で、この曲も最初の一樂節が六小節から出來てゐる。
こんな曲は餘り例を見ないものと思はれる。


§



 亀岡夢コスモス園








2011年10月6日

陽と風に守られて咲く秋櫻 不忍


 ひとかぜに  まもられてさく あきざくら
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 今日は休みなので、亀岡の『夢コスモス園』に行つて來ました。
 全部で800萬本あるさうですが、300萬本ぐらゐが咲いてゐて、しかも昨日の雨が嘘のやうに晴れたので、氣持が良かつたです。



§



HANDEL HARP CONCERTO Op.4 No.6 Larghetto 
亀岡夢コスモス園





山越えてコスモス風の里の奧 不忍

 やまこえて  こすもすかぜの さとのおく
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 龜岡にコスモスの里あり。いつの日より人の口端に上らんか。その昔訪れたる事あるはこの地なるか詳らかならず。





§


HANDEL HARP CONCERTO Op 4 No 6 Allegro moderato
亀岡夢コスモス園 








   コスモスや野に一面の色の搖れ 不忍 

 こすもすや  のにいちめんの いろのゆれ
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 龜岡にある『夢コスモス園』にて詠める句なれば、遠きに山をいただいて風を感ずるを喚起させ得れば諒とせんか。



§











山里は咲くにまかせて白い秋 不忍


 やまざとは   さくにまかせて しろいあき
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 この句は先週に龜岡へコスモスを見に行つた時のものですが、これがこの秋の句を纏めた時の題名になるので、なんとしても發表しておかなければならないのです。




§




亀岡夢コスモス園








   コスモスや色をふりまく風の里 不忍


 こすもすや  いろをふりまく かぜのさと
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃



§


VIVALDI AUTUMN 2nd MOV. Adagio Op.8 No.3
十五夜&十三夜







2011912

名月を池にあそばす今宵かな 不忍


 めいげつを  いけにあそばす こよいかな
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 遠景の山竝を借りて我がものとするやうに、木々の生茂る敷地三千坪にある池を眺めながら、今宵は名月を鯉とともに池に遊ばしておかう。
 なんて「空想の句」、いや「妄想の句」か。
 にしても綺麗な月である。



§



VIVALDI AUTUMN 1st MOV. Allegro Op.8 No.3

庄内神社秋祭り







2011年10月16日

   秋晴れて神輿あつまる鎭守かな 不忍 


 あきはれて   みこしあつまる ちんじゆかな
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪ ♪ ♪†ζ┃


 昨日の叩きつけるやうな雨が嘘のやうに晴れた。
今日は秋祭り! 
 神輿がそれぞれの地域から練りに出る前に、先づ挨拶の宮入りをする。
 神域で禊ぎを濟ませてから地元へと戻つて練り歩く事になる。

練り歩く果ては空まで秋祭り 不忍 


 ねりあるく   はてはそらまで あきまつり
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 庄内神社の秋祭りが始まり、神輿が町を巡行するのを撮影する爲に隨行して來ました。
 このやうな行事に參加するのは初めてだつたので、地域それぞれに工夫された神輿を見るのも樂しかつたです。



§


1.庄内神社秋祭り夜の部 
VIVALDI AUTUMN 3rd MOV. Allegro Op.8 No.3







2011年10月17日

熱く響くワツシヨイ秋に舞ふ神輿 不忍 


 あつく ひびく  わつしょいあきに まふみこし
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃♪♪ ♪ ♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 この句、當初(たうしよ)「ワツシヨイの熱き響きに舞ふ神輿」と詠めど、「神輿」は夏の季語なればかく改めたり。
 かくて「中折れ」の句とはなりぬ。

突上げる神輿 酣 躍る秋 不忍 


 つきあげる   みこしたけなは おどるあき 
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 最後の宮入りで神輿が練りを繰擴げ、祭りも 酣(たけなは)となつて樟(くすのき)の枝に屆けとばかりに神輿が舞ひ上がる。
 それに合せて見物客の觀聲が神社に充滿する。




§


2.庄内神社秋祭り夜の部 
VIVALDI Flute Concerto F. No.13 "La note" 完全版








2011年10月17日

   樟をめぐる神輿や秋の宮 不忍


 くすのきを  めぐるみこしや あきのみや
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃



樟や神輿めぐらす秋の宮 不忍
 

 くすのきや   みこしめぐらす あきにみや
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 神社には大抵、大きな樟(くすのき)が植ゑられてある。
 秋祭りの神輿が各地域から宮入りで境内に入つて、それぞれが思ひ思ひの勇壮な練りを繰廣げる。
 樟は何百年とそれを見守つてゐる。まさに鎭守なり。







§








正倉院展 
Bach Menuet in G major. BWV Anh.114











2011年11月3日

いにしへのの染み見ん秋日和 不忍
 

 いにしへの   ほうのしみみん あきびより
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 正倉院展に行つて來ました。これで二度目になります。
出かける時は店が休みの木曜日なので空いてゐるのですが、今囘は祭日で大變でした。
 誰が著てゐたのかと袍(ほう)の保存の良さに思ひを馳せてしまふ。

身じろがぬ鹿におどろく池泉かな 不忍 

 みじろがぬ   しかにおどろく ちせんかな
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 奈良の鹿は人に馴れてゐて悠然と邉りに溶け込んでゐる。
 煎餅に腹も滿ちたのか、彫像のやうに寝そべつて動かない。
 池の噴水を見に近づいて暫くすると、木蔭に鹿がゐると人に言はれて氣がつく程である。




§




神戸イルミナージュ 2011 
Borodin Notturuno No.2 3rd MOV.









2011年11月10日

煌めける神戸の山をつつむ冬 不忍 

 きらめける  かうべのやまを つつむふゆ
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 有馬温泉に一泊した時、『神戸市立フルーツパーク』の「イルミネーション」を見に行つた。
 夕方の五時半から六時までゐたが、色とりどりの華やかな明滅に來客から溜息が洩れてゐた。





§




有馬温泉 御所坊・瑞宝寺
 HANDEL HARP CONCERTO Op.7









2011年11月10日

冬暮れて茶も金色の有馬の湯 不忍 


 ふゆくれて  ちやもこんじきの ありまのゆ
C♪♪♪♪†ζ┃ ♪ ♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 長男の計らひで有馬の「御所坊」へ妻と二人して一泊しました。
 とてもゆつくり出來て良い骨休めでした。大阪に何十年も住んでゐるのに有馬温泉で一泊した事がなかつたので、やり残した事をすませたやう。

2011年11月11日

紅葉も遲ればせなる瑞寶寺 不忍 


 こうえふも   おくればせなる ずいほうじ
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 この寺には百人一首にある『ありまやま猪名のささはら風吹けばいでそよ人を忘れやはする 大弐三位』といふ歌碑があつた。
 紅葉の名所として知られてゐて中國からの團體が來てゐたが、紅葉にはほど遠かつた。






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WHITE FAIRY(SNOW)「白い妖精」 QY100 Original(自作)完全版









 この作品は1964年(昭和三十九甲辰年霜月)に作つた曲です。
 始めはこれほど複合三部形式の長い曲ではなく、二部形式の簡單なもので、「A」を發展させて殘つた「B」の部分は「Trio」に用(もち)ゐてゐます。
 曲を作る時、詩と一緒にメロデイが浮ぶ事が多く、それは今でも變りがありません。
その詩も掲載しますが、最初の題名が「白い小人」といふものでした。
 けれども、「小人」といふ表現は今では問題があるやうで、曲名は「妖精」の方が良いのではないかと思つて改めましたが、詩の方はもとのままを掲載し、英語ではMIDGET若しくはDWARF(どちらも「小人」の意味でデイズニイの『白雪姫』の七人の小人は「SEVEN DWARFS」になつてゐる)とせず、FAIRY(妖精)としますのでお許し下さい。
 事の序(つい)でに言ひますと、この作品は杜斯退益夫斯基(ドストエフスキイ・Dostoevskii1821-1881)の『白夜』がヴイスコンテイ監督によつて映畫化され、それを見て日本の北海道を舞臺にして映畫を撮影したらと考へ、その時の音樂にと作曲したものです。
 この外に、

 『孤獨・出逢ひ・焚火・白夜』

 等があり、いづれ發表したいと思ひます。
ところで、映畫を撮影する時は勿論チヤツプリンよろしく筆者が主演を務めるつもりでした。
 何しろ、まだ若かつたものですから......




   降る雪も隱し切れずや鹿苑寺 不忍 しのばず 


 ふるゆきも   かくしきれずや ろくをんじ
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃



   行く果ては風に雪舞ふ余呉の湖 不忍


 ゆくはては   かぜにゆきまふ よごのうみ
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃



arr.高秋美樹彦

二〇一一年十二月二十日午前四時半


白い小人


白い小人は
踊つてつもる
やさしく
やさしく
野山につもる


白い小人は
踊つてつもる
銀の世界に
かへながら


やさしく
やさしく
つもる雪
僕らと別の
世界のやうに


窓の外から
僕らの家の
樂しさを
しづかに
見守つて舞ふ


白い小人は
やさしい天使
踊つてつもるよ
野に山に


第二詩集『生鮮(FRSH)』より

一九六四昭和甲辰(きのえたつ)年霜月十九日()



     追 記 



 この作品の映像は「雪の金閣寺」の映像を求めて二〇一一年の一月に出かけましたが、思ふやうに雪が降つてゐなかつたので、再び二月十二日()に金閣寺へ出かけ、雪見には大した成果もないので銀閣寺まで足を延ばし、それでも滿足のゆく雪景色が撮影できないので、思ひ切つて兼ねてから行きたいと願つてゐた「余呉湖」へ行く決心をした。




 余呉湖は、芭蕉の弟子の路通が、



   鳥共も寢入つてゐるか余吾の湖 路通


 とりどもも  ねいつてゐるか よごのうみ
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 と詠んだ處で、この句は筆者のお氣に入りの作品である。

 彼は乞食路通と言はれて芭蕉の他の弟子から嫌はれてゐたらしかつたが、師である芭蕉は分け隔てなく接してゐたとの事である。




 句意は、琵琶湖の北方にあり、まるで琵琶湖が賤ヶ岳によつて切り離されたやうな湖……琵琶湖の餘りであるやうな意味を與(あた)へられた余呉湖に、人氣のない暮れ方にひとり行く當てもなく彷徨(さまよ)つてゐた路通はふと湖を見渡すと、そこには何處へ行つたのか水鳥の姿は見當らない。

 きつと巣に歸つてゐるのだらう。

 あの鳥でさへ歸る塒(ねぐら)があるのに、自分には歸る處もなく一生をさすらひ續けて行くのだといふ命の絶唱とも言へる諦觀。




 芭蕉はこの句を「細みあり」と言つてゐる。

 「細み」とは、自身も含めた生命に對する思ひやりのことであらうかと思はれる。

 まさに彼の「白鳥の歌」ともいへる作品かと胸に刻んでゐる譯なのである。

 この鳥は「浮寢鳥(うきねどり)」といふ水鳥だと言はれてゐて、季語は冬で、水鳥でも同じ事である。




 しかし、それでも余呉湖に雪は降つてゐず、雪が降る景色の撮影は出來なかつたが、僅かに一面に積雪した光景はビデオに収める事が出來たのが、せめてもの救ひであつた。



     二〇一一年十二月二十六日午前四時四〇分 店にて





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 春の湖(HARU NO UMI) 
宮城道雄(Mithio Miyagi)
2012年正月住吉神社&服部天神












2012年1月1日

(ことほ)ぎて福茶にかはる金箔酒 不忍 


 ことほぎて  ふくちやにかはる きんぱくしゆ
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪ ♪ ♪♪♪†┃♪♪♪♪ † ζ┃


 どなた樣も新年明けましてお芽出たう御座います。
正月は何十年と妻の實家に歸省してゐたのだが、去年から迎へられる側から迎へる側へと立場が變つた。
 と同時に福茶から戴き物の金箔酒へと氣分も一新!


輻輳(ふくそう)に立止まりたる初詣 不忍 


 ふくそうに  たちどまりたる はつまうで
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 正月は朝の御節を食べた後、午後までのんびりと過ごした。
二時になつて近くの住吉神社で參拜して屠蘇をよばれ、神社のはしごで道路を隔てた服部天神へゆく。
そこで娘の一句。

   初詣振袖よりもフリイスで 龍星。



 はつまうで  ふりそでよりも ふりいずで
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃



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J.STRAUSS “FRUHLINGSSTIMMEN”WALZER Op.410 
圓舞曲『春の聲』


服部戎&庄内戎 珈琲店 果琳 
YAMAHA QY100 
arr.高秋美樹彦









 ワルツ王として知られるヨハン・シユトラウス二世(1825-1899)は、五百曲にも及ぶ作品を作曲をしたけれども、彼自身の自筆總譜は數曲しかなく、こんにち使用される多くの樂譜は殘されたパアト譜を纏めたものだといふ。
 彼の父も「ラデツキイ行進曲」や「アンネン・ポルカ」有名なワルツの作曲家で、また弟も「ピチカアト・ポルカ」の作曲家として知られる音樂一家で、この曲は「庄内戎」の映像で既に使用してゐる。
 ワルツの形式としては普通は複合三部形式による事が多いのだが、シュトラウスは導入部からワルツが四曲ほど續いて終結部を迎へるといふ獨自の形式を確立してゐる。
この「春の聲」は聲樂の爲のワルツとして作曲されたので、導入部は輕く處理されてゐるが、新春になるとあちこちから聞えてきて、うきうきと心が踊つてしまふほど明るく希望に滿ちてゐる。

 「YAMAHA QY100」に打込むに當つて、ウインナワルツ風に一小節の二拍三拍目に表情を加へたかつたのだが、三百三十五小節にも及ぶこの『春の聲』に色々な作業が「YAMAHA QY100」には容量的に負擔がかかつたので諦めてしまつた。といふかこれは機械の所爲(せゐ)ではなく操作する側の問題なのかも知れないが、兎にも角にもこのやうな形で發表する事にした。

2012年1月10日

親しげに叩き板打つゑべつさん 不忍 


 したしげに   たたきいたうつ ゑべつさん
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃


 九日は庄内戎だけで十日には服部天神と兩方を廻つた。
 服部には裏に叩き板があつて、詳細は不明だが何でも恵比寿さんは難聽で、訪ねた事を叩いて報せなければ御利益が薄いと言はれてゐるらしい。

 「天神」とは雷神の事で、左遷された菅原道眞が恨みを殘して怨靈となり雷に打たれて横死させたり、雷災が頻發した爲に畏怖されて北野の天神祠に祭られて天滿自在天として神格化され、その後ぴたりと怨靈の活動が靜まつて學問の神と崇められて守護神へと變化したとものの本にあります。


1月11日
これからの餘生は殘り惠比壽かな 不忍 



 これからの  よせいはのこり ゑびすかな
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃


 長く生きて來て先が見えるやうになつてくると大抵の事には驚かなくなるが、さりとて多くの人が明日の事を解つてゐる譯ではないので、取立てて偉さうにいふ程の事でもないが生きてゐるだけで殘り福!







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